2010/7/31〜8/1 ときわすれ惑星探査記 7/30のぶん

 


偉業を達成したはやぶさに捧ぐ(はやぶさ大迷惑)

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他の人のレポ

ウヲさんのときわすれレポ 小学生視点です。ボケが進行し、幼児退行してます。

Shinjiさんのレポ どうしても来たかったらしいww

harabowさんのレポ 写真がすてきです。レースクイーン撮影で鍛えたウデが唸ってます

BLKさんのレポ 50年前の自転車で参加。筋金入りのナントカですな レポは手抜きですが、書かないよりはましかw

 

 

今回は、最近私がハマっている小惑星探査機、はやぶさのテイストで書いてみました(笑)だいじょぶか>俺

 

 

 

西暦2010年7月29日木曜日22時30分

横浜市の住宅地にある宇宙センターから、今まさに小惑星探査機gizmoが、米子星系、惑星ダイソン(つまり大山)探査のために打ち上げられようとしていた。

さかのぼること1年前。ダイソンの探査が行われた。が、この調査は3名乗りの大型探査機トラヴィックを使っての大がかりなものであった。今年は民主党政権(つまりヨメ)の業務仕分けにより探査計画の予算が大幅に削減されたため、探査そのものが実施できるかどうか微妙なところであったが、幸いにも探査が予定される週末の前日である金曜日、探査機gizmoのスケジュールが空いたため、結局7月30日から8月1日までの3日間を探査に割り当てることが可能となり、ここに今年の探査の実現に至った。

とはいえ、予算削減により大型探査機(つまり自動車)の起用は無理。さりとて小型探査機とはいえ化学エンジンを積んだ機体(バイク)だと今の時期、太陽活動の活発化により乗員が熱暴走するおそれがある。また、探査行が金曜日にかかる場合、燃料、つまりお金(高速代)をたくさん使用する問題があり、燃費の良いエンジンが求められるのであった。さらには仕分け議員による「なんでそんなとこ行くのよ!?」などという厳しい突き上げもあり、「た、探査したいから!」なんて寝ぼけた答弁を行いつつ、JAXAの職員(俺:二役)はひとつひとつ解決していった。

完成した軌道計算によれば、金曜日の早朝から出発し、米子星系への到着はその日の夜23:16が予定されていた。このことを20数年前から米子星系の探査を続けている探査機ウヲに打電すると、「モットハヤクコンカイ」という返信が・・・おそるおそる仕分け議員に、「あーうー、打上げを予定より早める許可をいただきたい」「何故?2番じゃダメなのか?」「いやその・・・探査機ウヲがはやく来いと言ってるから!」と必死の答弁と交渉を行った結果、打ち上げ時刻を木曜の夜に早めることに成功、今回の打ち上げにこぎつけたものである。それもこれも、宇宙へ行きたい、という人類の夢がなせるワザである。うちうはヲトコのマロンですたい!


使われたハイテク装備の数々


てなわけで、7月29日の夜、探査機gizmoは宇宙センター職員(うちの猫)に見送られ打ち上げられた。夜だったので他の職員は皆各人の重要な任務を遂行中であった。テレビ鑑賞とかね。 中継点戸塚までのシャトルにて運搬される探査機の目に映ったのは、明るい希望か、果たして途中で力尽きる自身の姿か。目的地は鳥取星雲、米子惑星系に属する小惑星ウヲカワ、さらには惑星大山を周回し、星系のサンプル採取が目的であり、探査機の背面部には新たに増設された30リットルの容量を誇るサンプル採取用のカプセル(リュック)が装備されていた。



今回の探査機は、燃料(つまりお金)消費が少ないことで定評があるイオンエンジン(青春18切符)を装備していた。このエンジンは、一日たった2300単位しか燃料を消費しない。ただしスピードはまったく出ない。したがっての、29日(木曜日)の夜からの打ち上げなのである。
地球の重力圏を脱出し、惑星横浜にて2336無事ムーンライト軌道に投入された探査機gizmoは、しばしの惰眠を貪った。

 




やあ!諸君!宇宙空間の夜明けは実に気分がいいぞ。(単に普段はこんな時間に起きないだけっつーかw)

 

京都スイングバイ成功


そんなこんなで探査機は、最初の目的地である惑星京都へ到達した。ここでは3時間、祇園の海周辺の写真撮影を行うミッションが予定されている。

探査機は、搭載重量に限りがあるため、観測装置(つまりカメラ)の選択にも気を配ったのだ。大型探査機が使うような一眼レフは、どうしても嵩張る。だからといってコンデジでは探査機の気分が乗らない。ここはフィルムカメラでしょう。てな脳内議論の結果、比較的コンパクトなCONTAX G1BiogonとPlanarをメインとしつつ、軽量なBig Mini F(上写真参照) をサブ、さらに記録用にコンデジのF200EXRを押さえに起用した。我ながら隙のない観測機器である。


・・・京都ステーションはまるで生まれ育ったコロニーを思い出させるぜ(いろんな物語がミックスし始めている)

しかし、3時間という船外活動時間はけっこうあるようで意外に短いのです。なんといっても決して出発時刻に遅れてはならない、ほんとのほんとにぎりぎりのタイムスケジュールなのです。ですから、目的のエリア(今回は祇園)への往復で約1時間を確保し、実質の活動時間を2時間弱と決めました。

実は私、京都を歩いたのは中学の修学旅行以来です。写真に注目したのがごく最近なので、ほとんど興味が無かったのでした。今ではこの旧い都市が宝の山だということがわかりました。今回は京都特集でもありませんので船外活動の様子は3枚ほどにとどめますが、いやいやすごく楽しかったっす。

ちなみにここは花見小路というエリア。


コミューターでデリバリー活動を行う原住民を発見。もう、めっちゃ渋い。こーゆーの大好き。このコミューター、京都の街にもすごくとけ込みますね。すばらしいデザインなり。

 


古代のモニュメント発見。建造後かなりの年代が経過しているらしく、地層に埋もれている。ポンペイみたいな遺跡か(違

 


旧い惑星だけあり、原住民も旧い それだけにこれまた街にとけ込む。むしろ私が異物なのだ。こっそりと街をあるくのであった。

いやはや、やはり良い街であった。これはまた再訪するしかないな。

名残惜しいが、全行程の1/4程度で引っかかっているわけにはいかない。最終目的地はまだまだ遠い。再びステーションに帰投する探査機であった。

 


ステーション京都にて。今回のために装備した30リットルのサンプル採取用ペイロード。(1リットルの冷却液タンクも見える)しかし、往路でこんだけ膨らんでいて大丈夫か。寝袋とマットが旧式で内容量の半分を占めてしまっているのであった。

 

そんなこんなで探査機は京都スイングバイを観光いや敢行し、次の通過点である岡山ラグランジェポイントを目指すのであった。

 

 

 

ビー ビー ビー!(警報音)

 

 

心地よく進んでいた山陽本線コース上で、鳴り響く警報音とアナウンス



好事魔多し。軌道上で人身事故が発生し、明石で山陽本線は運転を取りやめになったのであった。予定のコースから山陽電鉄コースへ外れる。ガッデム!(おっと失礼)

 


ここは姫路〜

そうこうしつつなんとか再度JR軌道に戻ったのは姫路であったが、しかし、探査機gizmoはぎりぎりで組んだスケジュールに対してだいぶ時間をロスしていたのだった。ちょっとピンチ!

予定外のコース変更により、最短で組んでいた軌道スケジュールが狂った。このままでは予定時刻1822に小惑星ウヲカワに到着できない。探査機はスーパーコンピュータ(つまりポケット時刻表)をフル回転させ綿密な軌道計算を行った。 

・・・・その結果、予定外ではあるが、化学エンジン(つまりお金)を使い、ある区間だけ探査機の速度を上げることにより、当初予定の軌道に乗せることができることが判明した。探査機はさらに計算を行い、備中高梁から新見という一区間だけ化学エンジンを1300単位噴射し増速(特急列車に乗る)するという軌道計算を行った。満を持して化学エンジンを噴射する探査機gizmo! その結果、無事に予定のコースに戻ったのであった。まさに科学の勝利だ。(ここ感動するところ) しかし、化学燃料の残りもだいぶ減ったのであったヽ(;´Д`)ノ

そろそろ米子星系が視界に入るはず・・・・


化学エンジンを噴射し終わった新見ステーションにて そろそろ日が傾いてきてますよっと。



そして到着した惑星系米子、そして小惑星ウヲカワに無事タッチダウンする探査機gizmo。


そこでは数十年前から探査活動を行うイオ&ガニメデ・・じゃなかったウヲ&ババサマという古代の探査機が迎えてくれた。あ、いやこちらも旧い探査機ですはい。

 

 


小惑星ウヲカワでの予定は、探査機ウヲの観測機器をチェックするとともに補給活動を行うことを目的としていたが、そこには故障した観測装置(カメラ)があったため、これをなんと3セットも試料用ペイロードに搭載して旅を続けることと相成った。果たしてその後の探査ではこの重量が探査機の行動に響いてくるのである。その夜は同じく京都からソヴィエト製の探査機BLKが、こちらは化学エンジンを使って夜半に到着したのだった。

そんな探査機の姿を目にして、しばらく後、探査機gizmoは本日の探査を終了し、スリープ状態に遷移した。(素直に「寝た」と書け)

 

2日目(7月31日)のぶんを見る 

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